理事長挨拶

  • 今井 昴太
  • 第56代 理事長 今井 昴太

 三鷹青年会議所 2025年度理事長所信
明⽇はもうはじまっている

【戦後80周年】
今から80 年前の1945 年、⼀つの⼤きな戦争が終戦を迎えました。当時、⼀⼤軍需⼯業地帯であった三鷹を含む武蔵野地域も、度重なる空襲に⾒舞われたと聞いています。
焼け野原に⽴ち尽くし、流す涙も枯れ果てた中で、それでも必死に⽣き抜いてきた先⼈達の苦労を、私は教科書の中でしか知りません。戦⽕に焼け落ちた街の、その⽡礫の⼀つ⼀つを拾い上げて、この国の未来を想い、復興への道を切り拓いた志を、私はテレビの中でしか知りません。
戦争を知らない私には何ができるでしょうか。当時の先⼈達に思いを馳せ、涙を流すことでしょうか。悲劇を繰り返さないために、平和への祈りをささげ続けることでしょうか。
⼀つ、確かなことがあります。
私は今⽣きていて、仲間と共に未来を思い描くことも、⼀歩を踏み出す覚悟を決めることもできます。そして私はこの場にあっては、三鷹⻘年会議所第56 代理事⻑として、⼀⼈のJAYCEE として、過去の悲しみを糧としながら、前に進むことができます。
何もせずとも平和に暮らせる現代⽇本において、過去に思いを馳せ、学び、この場に⽴つことの意味を知りました。その覚悟を決めるきっかけを与えてくださった先⼈達に、感謝を申し上げます。願わくは、戦後80周年という節⽬の年において、⼀⼈でも多くの⼈が過去を振り返り、未来を切り開く活⼒として、明⽇を⽣きていけることを切に願います。

【三鷹⻘年会議所の明⽇】
私は平成3 年に千葉県の⻑南町で⽣まれました。⼈⼝6000 ⼈の⼩さな町です。18 歳で上京し、以来15年間、⾟い時も、嬉しい時も、仕事に就いた⽇も、家族を持った⽇も、数えきれない思い出と共にこの街で過ごし、お世話になってきました。この第⼆の故郷とも呼べる三鷹の街で、三鷹⻘年会議所設⽴以来の平成⽣まれの理事⻑として、何を為すべきなのか。
浮かんでは消えるアイデアを⾒つめながら、⼀つの答えに辿り着きました。三鷹⻘年会議所は本年、正会員14 名で運動をスタートいたします。⼈⼝19 万⼈を数える⼀都市の、明るい豊かな社会を築き上げるには、あまりに⾮⼒で、危うく、⼩さい。かつて⼤樹であった三鷹⻘年会議所は、今、弱々しく朽ちかけているようにすら感じます。過去から学び、今を⽣き、刻⼀刻と姿を変える社会の明⽇の景⾊が、少しでも豊かなものであることを願って⾏動するために、仲間が必要です。
私たちが直⾯しているのは、どうしようもない現実。それを今、変えるために。豊かな明⽇を実現するために。私は私の1年間を背負い、三鷹⻘年会議所2025年度の⾄上命題は「拡⼤」であると、ここに宣⾔いたします。
数は⼒。どんな決意を持ってしても、⼀⼈の⼈間ができることは限られています。かの時代の荒野に⽇本の将来を思い描いた先⼈達も、⼀⼈では⼼折れていたかもしれません。その傍らには、励まし合い、時には涙し、肩を組んで語らった仲間がいたはずです。私は⼩さな⼀⼈の⼈間として、何もできないことを知っています。だからこそ今が、明⽇に向かって種を蒔く「拡⼤」の時であると確信しています。

【次世代育成】
三鷹⻘年会議所では、昨今、⻘少年育成事業に⼒を⼊れてきました。特に「わんぱく相撲三鷹場所」「みたかわんぱくスポーツDAY」の2つの対外継続事業は、その思いを⾊濃く写しています。この両事業では主に未就学児から⼩学⽣世代の⼦供達にスポットをあて、事業構築を⾏ってまいりました。⼦供達の笑顔は、我々の奉仕の⼼を明るく照らし、地域の明⽇を思い描く活⼒となります。
本年は新たに、中⾼⽣、⼤学⽣までもが関われるような事業構築を⾏い、より広範な若い世代と共に、三鷹の明⽇を考えるきっかけを作りたいと思います。
今から5年前、世界は新型コロナウィルス感染症の猛威に⾒舞われました。
今の中⾼⽣、⼤学⽣の多くは、多感な⻘春時代の⼤部分で、灰⾊の⾃粛⽣活を余儀なくされてきました。「デジタルネイティブ」という⾔葉が代表するように、各種SNSは⽬覚ましい発展をとげ、それらが暗澹たる⽣活を送る若者達の⼼に、灯⽕のように拠り所をもたらしていたことは、⼀つの救いであったように思います。その⼀⽅で、⽂字列やデジタル画⾯を介さない活きたコミュニケーション、汗を流した後の夜⾵の⼼地よさ、無償の対価に得られる笑顔の眩しさを知らずに、この街の明⽇を担う若者が⼤⼈になっていくことは、地域社会にとって、決して⼩さくはない損失であると考えます。そんな思いから、例年に加え、中⾼⽣、⼤学⽣も巻き込んだ事業構築を担う委員会として、次世代育成委員会を設置しました。三鷹⻘年会議所の事業を通して、⼦どもたち、若者たちの⼼に奉仕の種を蒔き、三鷹の街の明⽇を担うリーダーが育っていく。次世代育成委員会はそんな未来を描く委員会です。

【拡⼤広報】
「拡⼤」が⽕急の使命であることはすでに述べました。単年度制かつ40歳で卒業を迎える⻘年会議所は、⼀つの⽣き物のように、⽐較的早いサイクルで新陳代謝をする組織です。新⼊会員の減少は緩やかな衰退であり、⼿をこまねいていては、いずれ枯れ果てるしかありません。その時は、もはや⽬前に迫っています。
この危機を回避するために、⻘年会議所外の有志を巻き込んだ事業構築と、その認知拡⼤という2つの軸から会員拡⼤を⽬指します。
JCI クリードにおいて「We Believe」、「我々はかく信じる」という⼀⽂から始まるように、⻘年会議所の会員達は、信じる⼼によって繋がっています。私たちが信じる対象は、我々若者が変⾰を起こし、社会をよりよい⽅向へと導いて⾏こうという志と、⼈類への奉仕の⼼そのものです。我々は、我々の⾏動を信じています。何かを変えられると信じています。様々な⽣い⽴ちや、政治的・宗教的⽴場を超えて⼿を取り合い、時には違う⽅向を向きながらも前に進む意思を信じています。そうやって誰もが⼼を通わせ、事業を、例会を作り上げることで、きっと⼀緒に歩いてくれる仲間が増えると信じています。
その⼀⽅で、いかに素晴らしい運動発信をしていても、⻘年会議所を知らない⼈が、⻘年会議所に⼊会することはありません。我々の事業を、若き⻘年経済⼈を巻き込んで共に構築することで、より奉仕活動、運動発信を⾝近に感じていただき、⾃ら進んで⼊会のドアをノックしていただけるような組織を⽬指します。
この街の明⽇のために、共に汗を流せる志の芽が、⽇の⽬を⾒ないまま枯れて⾏くことが無いように。そんな思いから、三鷹⻘年会議所をPRし、会員拡⼤の道標をもう⼀度築く役割を担う委員会として、「拡⼤広報委員会」を設置しました。19万⼈の三鷹市⺠に広く認知され、応援していただける、そんな委員会になってくれることを信じています。

【種を蒔く】
理事⻑の⼤役を仰せつかったときは、私はやや楽観的な性格で、なんとかなるだろうという軽薄な希望的観測と、幾ばくかの好奇⼼を混ぜ合わせた、覚悟とは名ばかりの⼼持ちで⼿を上げたように記憶しています。最初は儚い覚悟だったかも知れません。そんなに⽢いものではないと、わかっているようでわかっていませんでした。
それでも、⻘年会議所が私を変えてくれました。⾃らの⼿で時代の礎を築き上げてきた先輩諸兄姉、お互いを知らずとも、JC の名の元に相集い、本気で運動発信をしている各地会員会議所の同志たち。そして、⼈数は少ないながらも背中を押してくれた、三鷹⻘年会議所の仲間たち。⽬には⾒えずとも、そこに確かにある歴史を、夢を、絆を感じていく中で、また同時に、不安と責任が⽇に⽇にその重量を増す中で、三鷹⻘年会議所第56代理事⻑の輪郭がはっきりと形作られていきました。
⻘年会議所の理事⻑が、1 年の任期のうちにできることは限られているように思いました。
殊更、私は経験豊富な会員ではありません。⼊会は2022年末、ほぼ⼊会3年⽬にして理事⻑の職をお預かりすることとなります。なにもできない理事⻑で終わるのではないか、そんな不安を抱える⼀⽅で、私のような理事⻑にしか成し得ないこともあるのではないかと考えるようになりました。
その時々の時代に合わせ、何の実績もない若者が変⾰を恐れず、柔軟に変化し、より良い形に作り変えることで、⻘年会議所は存続してきました。
三鷹⻘年会議所は昨年、55 周年の節⽬の年を越え、新たな変⾰の時期に差し掛かっています。60周年、70周年、ひいては100周年を⾒据えた組織づくりを、今、⾏う必要があります。
私には、実績は何もありません。しかし変⾰の覚悟があります。たった1つの理想があります。会員数が減少の⼀途を辿っている中、今⼀度原点に⽴ち返り、運動発信を⾏う仲間を⼀⼈でも多く集め、共に成⻑し、三鷹⻘年会議所があるべき姿に⽴ち返ることです。私は会員に多くを与えられる理事⻑ではないかも知れません。しかし、私がそうしていただいたように、⻘年会議所には多くの歴史と、夢と、絆が満ちています。それらをより多くの仲間に伝え、また新しい⻘年会議所の歴史を積み重ねていく。今後の5 年後、10 年後を⾒据えて、今⽇から種を蒔くことが、私にできる最上の1 年の努め⽅であると信じています。先輩諸兄姉が耕してきた⼟壌の⼒を借りればこそ、たった14⼈の⻘年会議所の思いがやがて芽吹き将来豊かな実りの時代を迎えるために、明⽇に向かって種を蒔くことができます。後世が新しい種を拾うことのできる、⼤輪の花が開くことを信じて、「次世代育成」と「拡⼤広報」を育ててまいります。
ただのしがないサラリーマンでしかない私が、弱冠33 歳の若造が、どこまでできるのか。
それでも、ここまでできたのだと、⼤⼿を振って笑えるように。今ここにいるすべての三鷹⻘年会議所会員が、⾃信をもって歩めるように。
その結果が、これからの礎になることを⽇々噛み締めながら、職務に邁進する所存です。伝統とは、その時々によって形を変えながらも、今に⽣き続け、これからも受け継がれていく⽬に⾒えない魂のことを⾔うのだと教わりました。
伝統ある三鷹⻘年会議所理事⻑として、この街と共鳴し、時には振り返りながらも、意思の⼒を歩みに変えて、⼀歩⼀歩を踏み締めてまいります。
最⾼の未来につなぐのための種を蒔き、三鷹⻘年会議所は今、変わらなければなりません。
明⽇はもう、はじまっています。

第56代 理事長
今井 昴太

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